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COLUMN

最終兵器「Z」と天才科学者たち 第2回殺人光線とは何か

最終兵器「Z」と天才科学者たち 第2回殺人光線とは何か

最終兵器「Z」と天才科学者たち 第2回殺人光線とは何か
ライター

河守 晃芳

前記事はイントロダクションであり、最終兵器「Z」に関する概要を簡単に説明した。今回からは、より詳細な説明に入っていく。今回は殺人光線についての記事である。

 

 

 

殺人光線=電波兵器?

 

 

目次

 

・殺人光線とはなにか

・日本の殺人光線

・海外における殺人光線

 

 

 

 

殺人光線は、巨大パラボナアンテナで、強力電磁波を一点に集中させ、照射する。画像は野辺山宇宙電波研究所(画像は著作権フリー)

 

 

 

殺人光線とは何か?

 

 

 

殺人光線とは、いったい何だろう。私は、殺人光線=強力電磁波であると解釈してよいと思う。基本的に、電子レンジと殺人光線は原理が同じだからだ。電子レンジは、マイクロ波を照射して、物体を過熱させるものである。以前、猫を電子レンジに入れてチンをしたら死んでしまった動画が有名となったが、まさにそんな状況を人間で作り出そうというのが、殺人光線の趣旨なのである。電波兵器以外の殺人光線としては、ナチス・ドイツは、殺人光線をX線や太陽光線によって作り出そうと研究していた。

 

 

電子レンジは、マイクロ波という電磁波を利用して、加熱する。殺人光線と原理は同じである。

 

電子レンジであれ、島田実験所で研究していた殺人光線であれ、どちらも電磁波発生にはマグネトロンを使う。マグネトロンは磁電管ともいい、戦争では主にレーダー(電波探信儀)に使用された。

 

電子レンジでも、殺人光線でも、使うのは同じマグネトロンである。画像は、戦前に使われていた真空管のマグネトロン

 

 

1933年に制作された陸軍のPR映画「怪力光線」を見てもらうと、イメージがわかりやすい。以下の画像を見てほしい。

 

 

①敵の飛行機や、乗り物に対して、怪力線(殺人光線)を照射する。

 

 

 

②そうすると、飛行機が炎をまとって撃ち落とされ、機関車は動かなくなる。

 

 

 

以上のようなものをイメージして、当時の日本軍は、殺人光線の研究に励んでいた。皆さんも、簡単にイメージが付いただろうか?

 

 

日本の殺人光線

 

 

戦前、海軍では、電波兵器から出る強力電磁波のことを「殺人光線」と呼んでいた。だが、陸軍では「殺人光線」という呼称以外に、「怪力線」とか「怪力光線」などと言ってたり、まちまちである。

 

 

登戸研究所全景。ここでは、殺人光線のみならず、さまざまな秘密兵器の研究をしていた。

 

 

日本において、もっとも有名な秘密兵器研究所といえば、陸軍の登戸研究所(正式名称:陸軍技術本部第9研究所)である。そこでも、殺人光線の研究をしていた。どうやらそこでは、20~30メートル先のウサギやサルを殺傷する実験は成功していたそうである。陸軍の殺人光線開発の計画は「く号兵器(※1)」の名前で研究されていた。

 

登戸研究所は、殺人光線のほかにも、気象兵器や、風船爆弾、偽札などの研究班に分かれていたが、私が研究している海軍の島田実験所は、登戸研究所に比べると、ほぼ殺人光線の研究に一本化していたとみてよい。

 

 

当時、登戸研究所で開発されていた風船爆弾。偏西風に乗せて、アメリカ本土を爆撃することがねらいであった。

 

 

現在、登戸研究所は、明治大学生田キャンパスになっている。「明治大学平和教育登戸研究所資料館」として一般公開しているので、訪れてみるといいだろう。

 

※1 く号兵器:怪力光線(くわいりきこうせん)の頭文字の「く」から名づけられた。

 

 

 

海外における殺人光線

 

 

海外では、殺人光線のことは「デス・レイ(death ray)」と呼ばれた。主な研究者としては、ニコラ・テスラが挙げられる。また、ナチスドイツも殺人光線の開発を進めていたことは有名である。

 

 

磁束密度の単位であるテスラ(T)に名を残す天才科学者ニコラ・テスラ。彼の研究していた殺人光線は、完成したのだろうか・・・

 

 

電波兵器とは話がそれるが、ナチスは、「太陽光線」を集めて敵を攻撃する兵器の研究をしていた。この兵器のことを「太陽砲(Sun Gun)」といい、これは、宇宙空間に巨大な反射鏡を設置し、その集光した光で都市を焼き尽くすというコンセプトであった。

 

著名なロケット工学者であるヘルマン・オーベルト(Hermann Oberth)は、1929年、フォン・ブラウンと共にナチス政権下でロケット開発に取り組みだした。その時、彼が考案したのが、この太陽砲である。太陽砲は、人工衛星に巨大反射鏡を搭載して宇宙空間に打ち上げ、その光で地上を照らすというアイデアがもとになっている。

 

 

太陽砲(Sun Gun)を発案したヘルマン・オーベルト。ロケット工学者として著名な功績を残した。

 

 

第二次世界大戦が勃発すると、ナチスはヒラースレーベンに研究所を設立し、オーベルトの考案した太陽砲が現実的に兵器となりえるかを研究した。その結果、地球の軌道上8200キロメートルに9000平方メートルの反射鏡を設置すれば、地球上のどの都市であっても焼き尽くす能力を持つ兵器になることを導き出した。しかし、実際に兵器として運用するためには50年以上かかるとの予測が立てられ、大戦中の実用化は不可能との結論に達した¹

 

 

1945年4月23日、タイム誌に掲載された太陽砲のシミュレーション図。太陽光線を一点に集め、都市を焼き尽くす。これがドイツ流の「殺人光線」だった。

 

 

ドイツにおいては、殺人光線は完成したのだろうか。このことについては、あまり明らかになってはいないが、複数の証言が存在する。

 

ナチス軍需大臣アルベルト・シュペーアは、1945年4月、ドイツの労働大臣ロベルト・ライから、ドイツが「殺人光線」を所有していることを聞いた、と述べている。そしてその殺人光線は、大量生産できるきわめて簡単な道具であったそうだ。その時、シュペーアは、ライ大臣はに対し「殺人光線受任者」の全権を譲ったという²

 

 

ナチス政権時代、軍需大臣を務めたアルベルト・シュペーアは、殺人光線の話を耳にしたという。

 

 

『Uボート977』の著者ハインツ・シェファーもまた、1945年4月に「殺人光線」のデモンストレーションを見学するようSSから勧められた、と述べている。だが、彼は潜水艦の艦長としてのスケジュールの都合がつかず、参加することができなかったという³。

 

このような証言があるように、ドイツでも日本同様、殺人光線の開発に勤しんていた。一体、ドイツでは、殺人光線は完成したのだろうか?詳細は謎のままである。

 

前記事はこちらをクリック

 

 

シリーズバックナンバー

 

 

第1回 イントロダクション(前記事)

第2回 殺人光線とは何か(このページ)

第3回 島田実験所ができるまで

 

 

[1] “The German Space Mirror.” article. Source: Time Magazine. July 23, 1945.より

[2]『ナチス狂気の内幕』アルバート・シュペール著 品田豊治訳のP472「殺人光線」より

[3]『Uボート977』ハインツ・シェファー著 より

 

 

参考文献

 

・”The German Space Mirror.” article. Source: Time Magazine. July 23, 1945.

・『ナチス狂気の内幕』アルバート・シュペール著 品田豊治訳 読売新聞社

・最終戦争論 石原莞爾著

 

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