作成日: 2018年2月7日 最終更新日:
こんにちは!総合型選抜専門塾AOI編集部です!
1897年、日本で2番目に設立された大学、京都大学。
そんな京大は『自由の学風』という、自分自身の力で自分ならではの未来を切り開いていこう、という基本理念を持っています。
だからこそ、京大生の卒業後の進路はどれも本当に千差万別です!
めちゃくちゃ働いてる人もいれば、なるべく働かなくて済むようにしている人もいますし、同じ業界に所属していても正反対の人々だっています。
今日は、そんな京大から卒業した著名人たちを、各業界から正反対な2人をセットにして紹介していきたいと思います!
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まずは、テレビを見ればおなじみの芸能界からです。
学問とは全く関わりのなさそうな芸能界では、どのような京大出身者が活躍しているのでしょうか。
さっそく見ていきましょう。
一番最初に上げたいのは、この手の記事だとどこでもお馴染み、宇治原史規さんです。大学入学前から芸人になることを志し、相方の「コンビの売りになるから」という言葉を受けて1995年に京大現役合格、そこから留年や休学などを駆使して大学に9年在籍した上で2004年に卒業しました。
その在学期間に何をしていたかというと、お笑い劇場でのオーディションに1年半挑戦し続ける、合格した後はローカル番組での活動を行うなど、自分たちコンビの目標へ積極的に行動していたそうです。
卒業後は、大阪を拠点としながらも全国区のクイズ番組で活躍したり、相方の菅さんが宇治原さんの京大合格までの勉強法やコンビ結成、オーディション合格までを書いた『京大芸人』を刊行したりなど、世間でも注目されてきました。
お笑い芸人とは打って変わっての二枚目俳優、辰巳琢郎さんです。大学卒業と同時にNHK朝の連続テレビ小説『ロマンス』で全国区デビュー。以来、知性・品格・遊び心と三拍子揃った俳優として活躍しています。
そんな辰巳さんも、経歴を見てみればわかるように大学を卒業するのに7年かかっています。というのも、そもそも大学に入学するよりも前から関西では人気実力ともにNo.1だった劇団卒塔婆小町に入団し、以来大学生活のほとんどをその活動に費やしてきたそうです。3回生時にはその劇団を主宰し、役者としてだけでなくプロデューサー・演出家として'80年代前半の学生演劇ブームの立役者として活動していました。
さらに、役者としての顔のほか、クイズ番組に数多く出演し、しかも数多く優勝していることでも有名です。芸能界のクイズ王と言われたのだとか。
次は、芸能人とある意味同じくらいテレビに出てきているかも知れない、政界の方々です。
前原さんは、現在は希望の党所属の衆議院議員です。京都府議会議員、民主党代表、国土交通大臣、外務大臣、民主党政策調査会長、内閣府特命担当大臣、民進党代表などと、様々な要職を歴任されていて、また、京大のある左京区は、前原さんの出馬する選挙区でもあり、とても京大とは縁の深い方です。
出身も京都府左京区で、中学の頃に父親が自殺してから母子家庭で苦労の多い幼少期を過ごしてきました。一浪の末、京都大学法学部に入学し、入学後は学費・生活費捻出のため、バスの添乗員から魚の卸売市場、喫茶店のウェイター、塾の講師など、ほとんど寝ないで働きながらも国際政治学を学びました。
卒業にあたり、外交官の道に進むか大学に残るか、あとは漠然と政治家にと考えていたところ、親しい教授に政治家の道を進められ、多くの政治家を輩出していることで有名な松下政経塾への入塾を決断し、その4年後には卒塾し京都府議会史上最年少の28歳で初当選を達成しました。
前原さんの正反対として上げられるのが、「永遠の泡沫候補」とも名高い(?)マック赤坂さん(本名:戸並 誠)です。
現在、東京都知事選や大阪府知事選などおよそ13回の立候補を行い、そしてその全てに敗れていることで、前原さんとは逆の方向性で有名な方となっています。
本人の経歴としては、幼い頃に父が事業に失敗し、おかずはコロッケが週に1回、3人きょうだいで1個という極貧の家庭に育ち「弁当なんて作ってもらえないから、昼休みは毎日、トイレにこもって泣いていた」のだそうです。そんな逆境から抜け出そうと猛勉強し、公立高校から京大に合格、さらには伊藤忠商事へ就職し、その後独立して希少金属(レアアース)の輸入で大金持ちになりました。
しかし、順調な人生の一方、大学受験や商社の仕事で挫折感も味わい「モノの売買だけでは虚しい」とも感じていたそうです。伊藤忠商事を辞める前後に、遠戚の女子中学生が抗うつ剤の大量投与で亡くなるという出来事もあったことから、独立から6年後「アメリカ西海岸流のスマイルでコミュニケーションを円滑に。気持ちをポジティブに」と説く財団を設立しまし、その知名度アップのために選挙活動を初めたのが、次第に本気で今の政治を打ち壊さなければならない、と思いを抱き、選挙活動を続けているのです。
本来は各カテゴリで二人づつしか紹介しない予定だったのですが、こちらは特別にもう一人紹介したいと思います。
それが、中華民国(台湾)初の民選による国民総統となった李 登輝(り とうき)氏です。
台北の農家に生まれ、日本統治下で旧制の台北高等学校を卒業後、京都帝国大学(現京都大学)農学部農林経済学科に入学しました。第二次世界大戦では砲兵として出兵し、戦後は台湾大学へ編入、その後、1968年にはコーネル大学で博士号を取得しました。当時の学位論文は、全米農業経済学会最優秀論文として讃えられたほどのものだったそうです。
台湾へ返ってきた後は台湾大学で教鞭をとりつつも農業の改善に貢献し、その功績によって国務大臣に抜擢されたのち、台北市長や台湾省主席となり、1984年には副総統に就任しました。1988年、当時の総統が亡くなったことから台湾出身の最初の総統に就任し、それ以後は自由・民主・均富という「現代の三民主義」を掲げて中華民国の台湾化と政治制度の民主化に尽力し、1996年には総統・副総統の直接選挙を中国史上初めて実現しました。
日本国内だけでなく、国外の政界においても活躍する京大出身者がいるのですね。
文芸界においても、多くの京大出身者がいます。作家には有名大学出身者も多く聞きますが、今回はその中でも極端な方々を集めました。
入学年:1979年
卒業年:1982年
学部:教育学部
一人目は、推理作家を検索してみれば必ず上の方に出てくる、綾辻行人先生です。新本格ムーブメントを起こした人物としても有名ですね。
在学時代はで推理小説研究会に所属し、大学卒業後は大学院へ進学、その在学中の1987年、『十角館の殺人』でデビューしました。
以降は《館シリーズ》と呼ばれる一連のクローズドサークルもので、古典的本格推理小説の人気を復興させました。代表作は『十角館の殺人』『時計館の殺人』『霧越邸殺人事件』『Another』、そして『殺人鬼』などとなります。
また、麻雀は京大生にとっては親しいゲームですが、綾辻さんも学生時代からの麻雀狂であり、文壇きっての雀豪だそうです。麻雀絡みでの交友も広いのだとか。
なんと、京大出身者には、今の時代に珍しい詩人もいるのです。
それも、今の時代に唯一『詩で生きていけている』と言われている人です。
最果タヒさんは、2006年に優秀な投稿者に贈られる第44回現代詩手帖賞を受賞。そこから、第一詩集『グッドモーニング』(思潮社)上梓し、2008年、京都大学在学中に『グッドモーニング』により当時女性では最年少の21歳で第13回中原中也賞を受賞しました。さらに、2009年9月から『別冊少年マガジン』で連載詩「空が分裂する」を開始したりもしています。
それからも、詩の既成概念にとらわれず、降りてくる詩の文字を撃ち落とすゲーム『詩ューティング』や選んだ文字から詩が生成される『カ詩ラモジ』などの作品を作ったり、詩集『夜空はいつも最高密度の青色だ』を原作として、同名の映画が作成されたり、さらにはルミネとコラボしてのクリスマスキャンペーンを行ったりなど、数々の新しい試みで人々に影響を与えています。
今度は文芸とはまた違った気風の、財界についてです。
もちろん京大出身者はたくさんいらっしゃるのですが、今回はその中でも特に創業者をピックアップしました。
まずは、保険という硬めのところを取り上げてみました。出口治明さんは、ライフネット生命株式会社の創業者です。大学卒業後は日本生命保険相互会社に入社し、 経営企画を担当として企画部や財務企画部に所属していました。その後、ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、同社を退職し、2006年に生命保険準備会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008 年の生命保険業免許取得に伴って、ライフネット生命保険株式会社を開業しました。2013 年に代表取締役会長に就任し、2017年には取締役を退いています。読書好きとして有名で、 著作も多く『人生を面白くする 本物の教養』はベストセラーとなりました。
また、2018年からは立命館アジア太平洋大学(APU)の学長にもなったということで、注目を集めています。
そんな硬めの保険会社から一転、今度は『ニコニコ動画』などの動画サービスで有名なドワンゴの創業者、川上量生さんです。
川上さんは、株式会社ソフトウェアジャパンに7年間勤めた後に独立して、IT企業ドワンゴを創業しました。ドワンゴの代表取締役として社長や会長を歴任し、東京証券取引所第一部に上場させるまでに成長させます。その後、スタジオジブリの鈴木敏夫と出会い、ドワンゴの会長のままスタジオジブリに入社したり(スタジオジブリでは見習い扱いのため、なんと無給だったそうです!)2013年からエヴァンゲリオンで有名な庵野秀明が率いる株式会社カラーの取締役に就任したりなど、会社の枠にもとらわれず、自分の興味関心にそってたくさんの型破りな行動をしてきました。
また、角川ホールディングス(のちのKADOKAWA)においては、当初は社外取締役として役員に就任していたのですが、2013年から同社の子会社の業務を担当することになったことにともなって社外取締役から通常の取締役となり、さらには2014年、ドワンゴとKADOKAWAの経営統合を発表し、2014年10月に設立したKADOKAWA・DWANGO(現カドカワ)の代表取締役会長に就任しました。
なんと、音楽界にまで京大出身者がいるのです。さらにその二人のジャンルもまた正反対で、そこもまた面白いですね。早速見ていきましょう。
松尾依里佳さんは、なんと京大卒のバイオリニストです。4歳の頃からバイオリンを習っており、14歳の時には高名なバイオリニストに師事し始め、当時からプロの音楽家になることを目指していました。
その上で京都大学に現役合格し、在学中にデビューして活動を始めます。当初は関西での活動が主でしたが、ドラマ『のだめカンタービレ』のオーケストラの一員に抜擢されたり、2011年には関西フィルハーモニー管弦楽団。さらに、東日本大震災チャリティーコンサートのために書かれたヴァイオリン協奏曲「Cantus Oratio 祈りの詩」(五木田岳彦、作曲)を世界で初めて演奏したりと、精力的に活動を行っています。
また、京大卒バイオリニストということで、芸能人と同様クイズ番組でもその知的さを発揮するなどの活躍もあります。
ヒャダインさん(本名は前山田 健一)は、J-POPやアニメソングなどを中心に作成している日本のミュージシャン、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家です。
もともと3歳の頃からピアノをやっていて、中学の頃からシンセサイザーで打ち込みを始めていました。京大では有名なアカペラサークルCrazy Clefでアカペラを始めていて、卒業後は著名な作詞家への弟子入りを経て2007年から事務所に所属し本格的な作詞活動を行っていたものの、中々芽が出なかったそうです。
そんな折に、先程の川上量生さんが立ち上げた「ニコニコ動画」に出会い、そこでヒャダイン名義で投稿した動画が国内外問わず大きな反響を呼び、それが自信となって幅広いジャンルに手を出し、そしてオリコン一位を取れるまでとなりました。
さて、そろそろ業界という分け方ではなく、もっと広かったり狭かったりするくくりで分けていってようと思います。
まずは、ライフスタイルです。世の中には、ビジネスでばりばり働こうという人もいれば、自分のペースでゆったりと働こうという人もいます。今回はそういうある意味対極な二人を紹介します。
働き者として第一にあげるのは、堀義人さんです。グロービスやG1カレッジなど、MBAなどを一度勉強しようと思った方なら全員がご存知でしょう。
堀さんは、京大工学部を卒業後、ハーバード大学経営大学院で修士課程、つまりMBAを修めました。
その後、住友商事を経て、1992年株式会社グロービスを設立。1996年グロービス・キャピタル、1999年 エイパックス・グロービス・パートナーズ(現:グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立し、2006年4月、グロービス経営大学院大学を開学、学長に就任しています。
また、国外での活動にも積極的で、若手起業家が集うYEO(Young Entrepreneur's Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian Leaders日本代表、米国ハーバード大学経営大学院アルムナイ・ボード(卒業生理事)等を歴任されています。
近年だと、2008年に日本版ダボス会議である「G1サミット」を創設したり、次世代リーダーのコミュニティを作るための「G1カレッジ」だったり、またテレビで多くの討論を行ったりと、より社会にインパクトを与えるための行動をしています。
誰よりも自由な行き方をするこの人です。phaさんは、元「日本一有名なニート」であり、現在はブロガー、作家をやっている方です。
上に書いてある通り、京大総合人間学部に入学したのですが、学生時代は熊野寮に入寮し、そこで仲間と麻雀を打ったりとしている中で二年ほど休学してから卒業、その後は一度国立大学の職員になったものの、異動届を出してタイへ向かったそうです。そこでの自由な暮らしや、大学の後輩を2人自殺で亡くしたことなどから、日本へ帰った後仕事を辞め、京都で「ネット住民用シェアハウス」を設立しました。
それが発展して、ギークハウスプロジェクトという、趣味趣向の合うギークやプログラマー、インターネットを活用するクリエイター同士で共同生活をする場を全国で作るプロジェクトが始まったり、自身の生き方を彼らしくネットでゆるーく発信していったりなどと、社会的に傷つけられた人々の力となっています。
次は、ものづくりについてです。
とっても有名で人々のためになっているあるものと、正反対にその不便さで有名なあるものを作った人をご紹介します。
代田稔さん、という名前にピンとくる人はそこまで多くはないかもしれません。でも、「乳酸菌シロタ株」という名前ならば心当たりがありませんか?
乳酸菌シロタ株とは、胃液や胆汁などの消化液にも負けず生きて腸に到達し、悪い菌を退治する乳酸菌のことで、これを見つけ、そして皆さん一度は飲んだことがあるだろうあの「ヤクルト」を作ったのが代田さんです。
代田さんは、在学中から病気にかかる前に病気にかからないようにするという
「予防医学」にいち早く着目し、微生物研究の道に入りました。
大学卒業後は、そのまま京都帝国大学医学部微生物講座の助手として大学に残り、1930年には講師になると同時に乳酸菌シロタ株を発見しました。
その後、1935年に福岡県福岡市に代田保護菌研究所を設立、貧しい人でも健康を手に入れられるよう「ハガキ1枚煙草1本の値段で買えるヤクルト」を経営標語とし「ヤクルト」の製造・販売を開始したのです。
さて、代田さんのある意味正反対として上げるのが、現在京都大学デザイン学ユニットにて教授を務める、川上浩司さんです。
デザイン学ユニットの中でも、川上さんの研究テーマは「不便益」、つまり一見不便に感じる事物のことをメインに研究しているのです。
そんな川上さんが作ったのが、京大のお土産の中でもトップの売上を誇る「素数ものさし」です。
素数ものさしとは、素数の位置(具体的には、1, 2, 3, 5, 7…)にしかメモリがないものさしです。緻密な数字が測れない欠陥品に見えますが、一応素数以外の数字を測ることも可能なのです。また、これ以外にも、見れば見るほど道が消えていくナビや、完全にジェスチャーしないと開かないアプリなど、多くの一見不便なものを作成しています。
しかし、これらは本当は不便なだけではないのです。例えば素数ものさしなら、一つ頭を捻って考える力が着きます。道が消えるアプリなら、その道を覚えようという意識が強くなります。このように「不便益」という言葉の意味は、不便だけではなく、益もあるもの。そういう、不必要なようで本当は世の中に必要だったもの、というのを探し、調べるのが川上さんのお仕事なのです。
次は、総長(学長)という、ニッチなところをピックアップしていきます。
まさか、京大以外に総長はいないと思いきや……?
一人目は、我らが京都大学総長にして霊長類の専門家、山際寿一さんです。
山極さんは、京都大学理学部卒で、同大学院の理学研究科博士課程修了。1987年に理学博士となっています。
その後は日本モンキーセンターリサーチフェローや、京都大学大学院理学研究科助教授を経て、同研究科教授となっています。
そして2014年、京都大学で行われた学長を決める教職員による投票で、山極さんは1位となり、翌日の学長選考会議で正式に学長になることが決まりました。2014年10月1日より総長に就任しました。京都大学の総長としては初の戦後生まれの総長となっています。
そう、京都大学のお隣にして、関西にある大学の中でも最大のライバルである大阪大学の学長としても有名な鷲田清一さんは、実は京都大学出身なのです。
鷲田さんは、京大文学部の哲学科を卒業し、同大学院の文学研究科哲学専攻博士課程単位取得満期退学してから、一度関西大学で勤めた後に大阪大学に移り、そこで2007年に学長となりました。
また、センター試験によく著書が出てくることや、朝日新聞で連載を行っているなど、哲学者・文化人としての活動でも有名ですね。
いよいよ残り2つとなりました。ここでは、ある意味真逆、というか、組み合わせ、というか、よく付き合いがちな女子アナと野球選手というペアで紹介していきます。
青山愛さんは、テレビ朝日の元アナウンサーです。
幼少期を親の都合でアメリカのニューヨークで過ごしたり、中高の5年間をテキサス州にて生活し、大学2回生時にもペンシルバニア大学に留学に行ったり、さらにはモンゴルでのボランティア体験やフランスでのホームステイ経験などとかなりの海外経験を持ちます。
そんな青山さんは、2011年8月15日から2014年3月28日までは、『報道ステーション』で3代目の気象キャスターを担当、2012年にはオリコン主催の「第8回好きなお天気キャスターランキング」で第9位を記録しました。
2014年3月31日からは、先『報道ステーション』のスポーツキャスターに就任。「朝日新聞」夕刊スポーツ面の連載企画『戦士のほっとタイム』のインタビュアーも引き継ぎました。
また、ニュースだけではなくバラエティでも活躍していて、2016年4月13日から2017年3月29日まで、バラエティ番組『マツコ&有吉の怒り新党』に出演しています。
そんな青山さんですが、2017年にはテレビ朝日を退社することを報告。あわせて、同年夏には渡米し、修士取得を目指して、ジョージタウン外交大学院へ進学することを発表しました。
田中英祐さんは、京大で初めて大学を卒業した後にプロ野球選手となった人です。
高校時代には白陵高校でエースとして活躍した後、京大工学部に現役合格。入学後には硬式野球部に所属し、今までにない好成績を修めました。
大学からの卒業後に三井物産へ入社することが内定していましたが、4年生の秋に日本学生野球協会へプロ志望届を提出したため、2014年のNPBドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名を受け、三井物産への入社を辞退すると共にロッテに入団しました。
しかし、プロ入団後は成績が振るわず、残念ながらおよそ3年で引退。球団からはフロントでデータ分析などを担う役職へ転じることを打診されていましたが、入団前に採用が内定していながら辞退した三井物産からも入社を要請され、結局現役を引退したうえで、球団に残らず改めて三井物産の入社試験を受けることを決断しました。
新卒の学生と同じ扱いで三井物産への採用が内定したため、私費によるアメリカへの短期留学を経て、2018年4月1日付で同社へ正式に入社する予定となったそうです。なお、プロ野球経験者の入社は初めてなのだとか。
それでは最後は、ベタではありますが、世界規模でも評価されるような京大出身者を紹介していきます。
湯川秀樹さんは、ノーベル物理学賞を獲ったことで有名な、日本の理論物理学者です。
京都府京都市出身で、京都帝国大学を卒業後も同大学の助手、講師、そして教授として過ごしたため、人生のほとんどを京都で過ごしました。また、一時期は大阪帝国大学(現大阪大学)の教授も兼任しています。
1934年(昭和9年)の頃からノーベル賞につながる中間子理論構想を持っており、アインシュタインなどとも個人的に親交を持っていたそうです。翌1935年(昭和10年)に「素粒子の相互作用について」を発表し、中間子(現在のπ中間子)の存在を予言しました。当時は、日中戦争の激化に伴い欧米諸国から孤立しつつあった日本の科学者は海外からなかなか評価されませんでしたが、1947年(昭和22年)に実際にπ中間子を発見されたことで1949年(昭和24年)にノーベル物理学賞を受賞しました。これが、日本人として初めてのノーベル賞受賞でした。
最後が、日野原重明さんになります。日野原さんは、日本の医師・医学博士で、聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長などを務めていました。
京都帝国大学医学部第三内科副手や、戦時中は大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長だったり、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、さらには海外でハーバード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任しました。日本循環器学会名誉会員となり、勲二等瑞宝章及び文化勲章を受章した。京都帝国大学医学博士、トマス・ジェファーソン大学名誉博士(人文科学)、マックマスター大学名誉博士などを修めています。
専門は内科学で、専門は内科学で、成人病と呼ばれてきた血栓によってひき起こされる心臓病、脳卒中の予防につなげるため、今ではすっかりおなじみの「生活習慣病」という言葉も日野原さんが発案したものなのです。
1995年に発生したオウム真理教による「地下鉄サリン事件」では、聖路加国際病院を開放する決断を院長として下し、83歳の日野原さん自身が陣頭指揮を執り、被害者640名の治療に当たりました。
いかがでしたでしょうか。
これだけでも十分にたくさんのものとなりましたが、京大出身者の著名人には、棋士、プロゴルファー、トランペッター、落語家などなど、多様な道へ進んだ方々が大勢います。
また、京都大学は「変人の巣窟」と言われることがあります。京都大学の変人性については、酒井敏教授という方が本を書いているので、ぜひ一度お読みください。京都大学を深く知るうえでは、必読の書と言えます。京大の変人を知るうえでも最適です。
京大変人講座: 常識を飛び越えると、何かが見えてくる (単行本)
京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)
ただ、そんな多様な皆さんに共通する一つのこと。それは、『自分なりの正しいと思ったこと、信念に基づいて行動してきた』ということです。
それは、夢かもしれないし、目の前の人を救いたいという思いかもしれないし、国を憂う愛国心かもしれません。そのような、強い信念があり、それに向かって自分なりに頑張ってきたからこそ、このように世間に名を知られるようになったのです。
そんな確固たる信念がある人が評価される入試方法、それが総合型選抜(旧AO入試)です。
一般入試では、自分のやりたいことが評価されず、ただ単にペーパーテストの点数だけで合否が決定します。特色入試では、それとは違い、自分のやりたいことや、今まで自分が取り組んできた実績などが評価されます。大学入学前に、自分の大学での学びの計画を明確化できるため、目的意識を持った大学選びができるでしょう。
明確な夢を持ち、未来に向かって歩み出したい人はぜひ、総合型選抜(AO入試)で京都大学にチャレンジしてみてください。
AOIはその後押しをしており、複数名の合格者を輩出してきました。
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